目はなぜ人の心を惹きつけるのか?

“National Geographic tracks down Afghan girl”

目のパワーって、すごい。

わたしたちはすれ違いざまの眼差しでひとの心を垣間見、
向かい合う相手の視線の先を追い、
大切な相手を思って丁寧なアイメイクをする。

目は、強力なコミュニケーションツールだ。

そして、目が仕入れてくる色彩の情報は、わたしたちの心を文字通り彩る。

 

目がしばしばひどくわたしたちの感情を動かすのは、それが”思考する感覚器官”であるということに関係があるように思う。

透明な水晶体の先で光を直接受け止める網膜は、胚の発生過程で脳の一部が飛び出てできる、脳の一部分である。

実際網膜は脳の表皮にそっくりな機構でできていて、色彩の分析も行なっている。

眼は、頭蓋骨に守られた脳が唯一外界と接している、”考える感覚器官”なのだ。

 

ところで、目がわたしたちに教えてくれる色彩感覚も、実は目が “考えてくれた” 世界である。

色感の表現にはよく三原色が用いられて、液晶テレビからなにから、あらゆるところでお決まりのルールになっている。

このやり方に従うと、全ての色は赤(R),青(B), 緑(G)の三つの色で、あらゆる色(X)が

$$X = a_{1}R + a_{2}B + a_{3}G$$
のようにして表せるということになっている(数学っぽく言えば、全ての色彩空間は、R,B,Gの三つの基底で貼られるというわけである)。

この説明はいかにも納得がいき、私自身もかつてしたり顔で絵の具を混ぜていた。

ところが、物理の教科書には、色は光の波長によって決定されるとかいてある。

実際には光(電磁波)は波として表されて、振幅(A)と振動数(f)を用いて
$$X = Asin(2\pi ft)$$
のように表せる。

この式は、色彩が無限基底のベクトル空間で構成されていることを表していて、

特定の周波数のsinカーブどうしをどんなに頑張って混ぜ合わせたところで、他の周波数のピークにはならないのだ。

つまり、三原色というのはまるきり見当違いなモデルだということだ。

色彩という情報が、実際とはまるきり違う形に”マップされて”いるのは、それが網膜がかんがえてくれた世界だからだ。

わたしたちの眼の中には、三種類(二種類や四種類の人もいる)の色素があって、それらはそれぞれ異なるスペクトル領域の光を吸収する。

三つの受容体のスペクトル感度曲線は、鋭いピークではなくゆるやかなガウシアン曲線で、

つまりそれぞれがだいたい赤、青、緑っぽい色の光を識別できる。

無限の周波数を無限の受容体で感知することはできないから、

それぞれの受容体がどれくらい反応したかを元に網膜が考えて、

わたしたちの中で色という感覚が生まれているのだ。

色彩の感度曲線 引用:https://hrinoue.net/zscience/topics/color/color.html

 

眼は正真正銘、”考える”器官なのである。

 

眼の不思議はまだまだある。

脊椎動物と無脊椎動物は、進化の過程でけっこう昔にわかれていて、
分岐点ではナメクジみたいなご先祖様だったと言われている。

そのころは眼なんていう器官は全く大したものではなかったのだが、
はるか昔にわかれたはずの頭足類(タコやイカ)は、とっても素敵な瞳をもっている。

彼らの眼は複眼や発達程度の低い眼などではなく、水で満たされた部位が二つあって、その奥には網膜があり、角膜も虹彩もある(視神経と網膜の順番など、違いもある)。

これは脊椎動物の眼と同じ機構で、つまり自然は外界の知覚という問題に、二度も同じ解を与えたのだ。

進化は、どこか明確な目標に向かうものというよりは、
その場その場のでっちあげの積み重ねだが、

眼という器官はどうやら、だいぶクリティカルな器官であるように思われる。

 

わたしたちの脳が、心が、直接触れ合う場所なのかもしれない。

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