降誕祭

私はカトリックの洗礼を受けている。

 

とはいえ、一応科学の信者でもあるので、神様が土を捏ねて人間を造ったと思っているわけではない。

別にカトリックの学校に通っていたというわけでも全くなく、
大好きな祖母がカトリックだったので、一緒に毎週教会に通っていたというだけだ。

ただ、人は誰しも絶対的な何かに愛されるべき存在だと信じてはいる。

今年は初めて、地元ではなく東京の降誕祭を訪れてみたので、それについて少し書いてみたい。

 

要町駅から少し歩いたところにある、豊島教会。

ロウソクを受け取って、お御堂に入ると、なんともいえぬ気持ちになる。

上京してから、教会を訪れる機会が随分と減ったものだ。

オルガンの音と、昔よく歌っていた歌には、なんとも言えぬ心地よさを感じる。

 

初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。

 

というのは降誕祭の福音朗読の冒頭で毎年読まれる有名なフレーズだが、

ことば、はギリシャ語でλογοs(ロゴス)、論理とか言葉とかいう意味だ。

聖書は、万物はロゴスから始まったと説く。
聖書には面白い箇所が多くあるけれど、この福音はいつか原文で理解してみたいな、と毎年思っている気がする。

 

帰り際、同じ研究所で働いているドイツ人にばったり出会った。なんたる奇遇。

もっとも、研究所から一番行きやすく、そこそこ大きい教会だから、必然と言えば必然ではある。

私よりも相手が驚いたらしく、すっかり話が盛り上がってしまった。

 

彼は日本に渡って長く、研究員として働きつつ、大学の講義も担当しているそう。

母国でのクリスマスの話。子供の頃、装飾をみんなで作ったこと。家族のこと。教会の旅行やバザーを仕切るリーダー的存在だったこと。私の “シュトーレン” の発音がおかしいということ…

 

宗教は、こういうものなんだろう。真理とか規律とか、正しい法というよりも、もっと家族や土地に根ざした、生活的、慣習的なもの。

そして価値観とか”正しさ”とかはそういった慣習から生まれるもので、

それだから宗教は強く、人々の救いとなり、時に排他的なのだろう。

 

疎遠になってしまわずに、またちょこちょこと顔を出して行きたいものである。

 

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